ある国に二つの村があり、住民はそれぞれ4人です。
ひとつの村に4人の人がいてちくわを作って売っています。村の名前は松の村といいます。
近くの村に4人の人がいて佃煮を作って売っています。村の名前は竹の村といいます。
松の村の人は、ちくわをつくりました。
竹の村の人は、佃煮をつくりました。
松一さんの貯金100円 販売のちくわ 100円 ⇔ 竹一さんの貯金100円 販売の佃煮 100円
松二さんの貯金100円 販売のちくわ 100円 ⇔ 竹二さんの貯金100円 販売の佃煮 100円
松三さんの貯金100円 販売のちくわ 100円 ⇔ 竹三さんの貯金100円 販売の佃煮 100円
松四さんの貯金100円 販売のちくわ 100円 ⇔ 竹四さんの貯金100円 販売の佃煮 100円
それぞれ貯金額100円持っていて、100円のものを売り買いしました。
取引額の総額は800円です。つまりGDP800円。
貯金額にかたよりがある場合はどうでしょうか。
松一さんの貯金200円 販売のちくわ 100円 ⇔ 竹一さんの貯金200円 販売の佃煮 100円
松二さんの貯金100円 販売のちくわ 100円 ⇔ 竹二さんの貯金100円 販売の佃煮 100円
松三さんの貯金50円 販売のちくわ 100円 竹三さんの貯金50円 販売の佃煮 100円
松四さんの貯金50円 販売のちくわ 100円 竹四さんの貯金50円 販売の佃煮 100円
二人しか売り買いすることができません。
取引額の総額は400円です。つまりGDP400円。
二人しか売り買いできないケースでは、取引できなかった二人に50円を配ると取引できます。
つまり財政支出50円を四人に行えば取引ができるわけです。しかし、この方法はお金を配ったので、
国のお金の量を増やしインフレリスクを生じさせます。
松一さんの貯金200円 販売のちくわ 100円 ⇔ 竹一さんの貯金200円 販売の佃煮 100円
松二さんの貯金100円 販売のちくわ 100円 ⇔ 竹二さんの貯金100円 販売の佃煮 100円
松三さんの貯金50円+50円 販売のちくわ 100円 竹三さんの貯金50円+50円 販売の佃煮 100円
松四さんの貯金50円+50円 販売のちくわ 100円 竹四さんの貯金50円+50円 販売の佃煮 100円
以上から得られる洞察はなんでしょうか。
つまり、貯金の量に偏りがあると、取引が最大化されないということです。
貯金額にかたよりがあり、値段にもかたよりがある場合はどうでしょうか。
松一さんの貯金200円 販売のちくわ 200円 ⇔ 竹一さんの貯金200円 販売の佃煮 200円
松二さんの貯金100円 販売のちくわ 100円 ⇔ 竹二さんの貯金100円 販売の佃煮 100円
松三さんの貯金50円 販売のちくわ 50円 ⇔ 竹三さんの貯金50円 販売の佃煮 50円
松四さんの貯金50円 販売のちくわ 50円 ⇔ 竹四さんの貯金50円 販売の佃煮 50円
四人が売り買いすることができました。
取引額の総額は800円です。つまりGDP800円。
この場合取引量は最大化されますが、
現実のお金持ちを考えてみると、必ずしも貯金にあった支出をいつもするわけではありません。 生活に必要なお金は、それほど多くなくてすみます。
なので、貯金や所得のかたよりが大きい場合、経済弱者を救ったり、経済をまわそうとするとより多くの政府の財政支出や社会的リソースを 支出しなければならないことになります。
貯金されたまま、社会に活用されない大規模なお金は、社会の一方では、社会コストを発生させているのです。
ゼロサムゲームのための溜まったお金、投資先が何年も見つからないお金、老後まで苦も無く生きていけるのにそれ以上に貯められた個人のお金は 社会コストを発生させているのです。