MMTで低所得の人にお金を出し続けるとする。
その人たちは安い食品と安い日用品を買い続ける。
それを売る企業は当然儲ける。
企業としては、安い日用品をつくる原価をさらに下げて利益を出そうとするだろう。
働かなくてお金を出し続けるのは、社会分配にゆがみを生じさせる。
それを良しとして究極までインフレが起きない状態を続けるとすると、
低所得を政府から借金による財政支出で得る多くの人たち、
働いて国のインフラや国際競争力を維持し食料や資源を買えるようにする人たち、
未成年者の人たちに分けられるだろう。
無所得、最低所得の人たちに広くうすくお金をまくだけでインフレは起きない。
働く人たち、特に資本家に富が集中するだけで固定化してしまう。これは、社会として望ましくない。
これは、つまるところ、実質価値や労働の裏付けがないお金を作っても良いのだろうかという問いになる。
それは社会のどこかにゆがみを生じる。
インフレが一律に起きなくても、どこかのグループに起きる。
労働の裏付けがあって社会に寄与する実質価値を生み出すのであれば通常の投資活動と変わらない。
お金は銀行によって発行されるそれは将来のその分の実質価値をもつものとしてやり取りされる。
そういう社会的共通認識の上に成り立っている。
政府がつくるお金もそうでなければならない。
沖縄が返還された時、沖縄の人に日本円を使わせるために日本政府はお金を作ったはずだ。
沖縄の人の資産の実質価値に見合うようにそれまでのお金と日本円を取り替えたはずだ。
つまり実質価値が釣り合っていればお金は作れる。
実質価値や労働の裏付けがないお金を作っても良いのだろうかという問いで
良いという場合、日本円を刷りまくって、日本の低所得よりさらに低い低所得の外国の貧しい人たちにお金をばら撒いてはどうだろうか。
為替がどうのという問題はおいておき、彼らが日本円を手にして日本から物を買うことができるとする。
日本の工場も生産量アップするし日本国内でインフレにもならない、お金も入る。誰も困らないということか。
そんなことは無いだろう。という声が聞こえそうだ。
日本の工場で作った実質価値のあるもの、日本人の労働をただあげているだけじゃないか。
その通り。これを続けると日本には日本円という紙幣というか、その紙が、というかお金の計算上の数字が、工場労働者と工場の資本家に溜まり続ける。
というか、外国の貧しい人たちのお金を集めて工場を買ったほうが安くつくだろう。
これでみんながハッピーになれるならいいのだが。明らかに日本社会に
ゆがみが生じるだろう。
日本の人の労働力を使ってそれをしたとして、労働力の10%をこれにあてたとすると、
日本人は老後のためにより長い時間働かないといけなくなる。
20歳から65歳までの労働のうち1割とすると、働く時間45年のうちの1割で4.5年を長く働く必要がある。
日本国内でみるとお金という紙の束は、増えたが、日本の工場の稼動させた資源と労働者の時間というリソースは失われた。
低所得者層向けのビジネスの価格帯は、インフレがおきるだろうし、それで利益を得た会社からお金は回っていく。
日本として実質的価値を生み出さないまま、紙というお金が増えた状態になる。
国民合意の上、貧困対策ということで財政出動をやりインフレ2%でとどめるというのであれば、
実質価値を生み出す日本人の労働力、資源の2%を提供するというのが、本来の姿ではないだろうか。
どの程度のリソースを配分するかは、国民の選択の問題である。
お金の発行で、債務としてお金が発行されるのは、将来的に実質的価値を社会的にもつことを担保しているからこそ、正当なものとしてお金を発行できる。
逆にいうと、
実質価値や労働の裏付けがないお金は、所得と貯蓄の配分に偏りが生じ、社会コストを発生させる。
MMTに関する議論はここに収斂していく。
工場でぶらぶらする労働者をかかえるくらいなら財政出動して働かせるという考えもあるだろう。年功序列だからそうすべきなのだろうか。
でも本来は、教育したうえで、より付加価値の高い仕事をみつけたり、社会コストを軽減する仕事を見つけて、労働させるべきだと思う。
分配の問題やセーフティネットは、それにあわせて考えるべきと思う。
インフレ2%がおかしいといわれると、MMT派の中には、
ケルトン教授は、
「財政支出の枠はあって、現在休眠状態にある生産設備がほぼフル稼働になる程度におさえる。
これ以上に増やすと供給制約の点からも過度のインフレが起きやすくなるから。後はゼロ金利と増税減税による微調整を行う」
と言っていると言う。
これは、インフレ2%基準より財政スケールを小さくして現実にあわせてきた基準に見える。
既にある工場の空き時間を有効活用して食品を配れば、福祉対策のコストは小さくてすむでしょうというアイデアは当たり前に思える。論点はそこではない。
福祉対策として社会のリソースが必要で、そこに将来的に実質的価値を社会的にもつことを担保されていないお金を使うのは、
インフレリスクの内在化の社会コストを国民が払うことを意識させず、同意させずにしようとすること。
実質的価値の 内在と言ったけれども裏づけをもたないお金を増やすということは、国民の貯金を全部平均化すれば、お金は明確に増えているし、その分お金と物との対応付けにおいて
お金が希薄化していること。それを低所得者向けだから、普通の人にはインフレは見えないでしょといっているに過ぎない。
低所得者向けの層とやりとりするビジネスのインフレは当然起きる。
集めた税金の予算制約に縛られる必要はない。お金と物やサービスの価値を均衡させるためには、増減の調整が必要だから。
市中に増えるお金と減るお金を調整する必要がある。
雇用対策においては、インフレ内在というコストや犯罪増加などの社会コストを勘案した上で適正な量の財政支出をする必要がある。
その財政支出は、社会コストを最小化するという費用としての実質的価値がある。