実質価値で考える

ある村があって、都会に通じる道路がなかった。

新しく道路をつくることは、人の往来を促し、人々の生活の質が向上する。

村の人にとって実質価値があって便利であると思う。

道路を作る人に対して、その為に対価を払ってさえよいと思う。

では道路が2本目3本目と増えて行ったらどうだろうか。

それをずっと作り続けて、実質価値は増えて行くだろうか。

10本目の道路は誰も使用しないかもしれない。

でも同じだけ道路の製造コストはかかる。

道路を製造する人の労働価値は下がるかもしれない。

単純に作りすぎると実質価値は下がってします。

その場合は、別な価値あるものに労働を仕向けるしかない。

日々の食料を作るのは価値があるが、世界的にある缶詰を大量に作ると、価値は下がる。

大学も、どんな人も入学卒業できるような名ばかり大学をたくさんつくり過ぎても価値は下がる。

そういうことを考えていくと、高齢化社会では、高齢者のケアをすることの生産性を上げることは、価値があると考える。

新しい価値を見出せる人を育てることが結局は、社会の価値を上げていく。

人があまりに孤独になりすぎないように、社会インフラを整え、健全な社会を目指すことは実質価値を生む。

株価を上げることだけを期待したり、期間工がたくさんいるような社会も、結局は幸福をめざすために、何を大切にし、何を切り捨てるかということになる。

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